公開: 2019年8月31日
更新: 2019年8月xx日
1935年8月1日、モスクワに滞在していた王明中国共産党代表は、日本の中国進出に対抗することを要求した、「為口実救国告全体同胞書」を発表しました。これを8.1宣言と呼びます。
満州事変の後、満州を支配した日本軍は、万里の長城を超えて南下し、中国への侵攻を始めました。日中両国は1933年に、日本軍は万里の長城より南の地域からは撤退し、蒋介石軍は共産党との戦いに焦点を当てることを決めた協定をまとめました。これによって日本は、中国国民党の勢力を河北省などから退け、華北5省の分離を図りました。
蒋介石による中国共産党弾圧によって、中国共産党軍は疲弊し、共産党は国共内戦を停戦させることを希望していました。1935年7月、世界的な共産党組織では、反ファシズム統一戦線の設立と言う政策を決定していました。この新しい方針のもとに、王明は、8,1宣言を発表しました。